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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)10219号 判決 1980年1月30日

原告 堤学

右訴訟代理人弁護士 吉永順作

三枝信義

右吉永順作訴訟復代理人弁護士 吉永精志

被告 国

右代表者法務大臣 倉石忠雄

右指定代理人 石川善則

<ほか三名>

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、三〇〇〇万円及びこれに対する昭和四九年一〇月三日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  被告

1  主文と同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  (気脳撮影検査及び下垂体卒中に対する手術の実施とその経緯)

(一) 原告は、昭和四九年九月頃、従来使用していた眼鏡の度が合わなくなったため、某デパートの検眼室を訪れたところ、専門医の診察を受けた方が良い旨の助言を受けた。

(二) そこで、原告は、同月二〇日、東京医科歯科大学医学部付属病院眼科で診察を受けたところ、脳腫瘍の疑いがあると診断され、同病院脳神経外科に紹介され、翌二一日、同科の診察を受けた。そして、原告は、同月二五日、同病院に入院し、手術を受けることになったが、担当医は原告に対し、手術を受ければ眼鏡が不必要になるほど視力が良くなることを約した。

(三) 原告は、入院後脳神経外科で諸検査を順次受けることとなったが、その一つとして気脳撮影検査(腰椎穿刺あるいは後頭下穿刺を行い、酸素などの気体を一〇ccないし二〇cc注入し、脳室又はクモ膜下腔あるいはその両者をレントゲン写真上に写し出す方法)を実施する旨を告げられた。

(四) 原告は、右検査を受けることを極力拒否したが、担当医に説得され、これを承諾した。

(五) 原告は、同年一〇月二日午後一時三〇分頃から気脳撮影検査を受けることになったが、第一回目は酸素がクモ膜下腔に注入されたかどうか判明しないため、更に穿刺針をそのままにした状態で再度酸素注入がなされた。しかし、酸素は硬膜下腔を通って硬膜下に注入されたため、同日午後三時頃、右検査は中止された。

(六) 原告は、同日午後一一時過ぎ頃から吐気を覚え、嘔吐を始め、翌三日午前六時頃両眼共視力が消失していた。

(七) 原告は下垂体卒中と診断され、前記脳神経外科担当医によって同日午後一時二五分頃から開頭手術が開始され、腫瘍及び血腫が除去された。

(八) そうして、その後も視力を回復するための各種の療法を受けたが、原告の視力は遂に回復しなかった。

2  (因果関係)

原告の失明の直接的な原因は、下垂体卒中による回復不能な視交叉神経の傷害によるものであるが、右下垂体卒中を惹起させたのは、前記脳神経外科担当医が原告の下垂体が相当程度肥大していたところに気脳撮影検査を実施したことによるものであった。

3  (過失責任)

(一) 脳神経外科担当医は、原告に対する気脳撮影検査が不必要であったにもかかわらず、敢えてこれを実施した。すなわち、

(1) 原告は、入院後、過剰ともいえる各種の検査を施行され、頭部レントゲン写真を二〇枚近く撮影されている。その結果トルコ鞍部の骨が破壊されていることは当初から明白であり、腫瘍の概略の形状・大きさは推計できた。

(2) 脳神経外科担当医は、気脳撮影検査写を実施することなく脳血管撮影などをしただけで手術を実施している。

(二) また、気脳撮影検査を実施するに際しても、以下の如き過失があった。すなわち、第一回目の酸素注入は、酸素がクモ膜下腔に注入されたかどうかさえ判明せず失敗したのであるから、少なくともその段階で右検査を中止すべきであったにもかかわらず、更に穿刺針をそのままにした状態で再度酸素注入を行い、酸素を硬膜下腔を通して硬膜下に注入し、再度失敗した。

(三) 原告は、右検査後の午後一一時過ぎ頃から急に吐気を覚え嘔吐を始め、そのことを看護婦に伝えたにもかかわらず、脳神経外科の当直医が診察にもみえず、更にその後翌日午前三時三〇分頃まで再三看護婦に吐気を訴えても、殆んど処置らしい処置もなされずに放置され、同日午前六時、原告が「駄目だ、駄目だ」と嘆いているのを見て当直医が来診し、対応策が立てられた。

(四) 更に、右検査は、下垂体腺腫の場合には極めて危険な検査であるから、剃髪その他手術の準備をしてから始めるべきであったにもかかわらず、右検査前に右準備がなされていなかったため、手術の開始が大幅に遅れた。

4  (損害)

(一) 原告は、昭和九年二月一五日生れの健康な成年男子で、昭和四九年一〇月当時大東京火災海上保険株式会社に雇用され、外交担当業務に従事していた。

(二) ところが、本件気脳撮影検査又は手術により失明したため、右会社を退職せざるをえなくなり、現在収入が全く無くなった。

(三) 原告の昭和四八年一〇月から同四九年九月までの収入は五三六万三六四〇円であった。原告は、右失明当時四〇才であり、保険外交員として少なくとも六七才まで二七年間稼働することが可能であり、その労働能力の喪失率は一〇〇%であるから、その得べかりし利益は六三〇九万二九二六円である。

(四) 原告は、失明により甚大な精神的苦痛を被り、これを慰謝するには七〇〇万円が相当である。

5  (結論)

よって、原告は被告に対し、不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償として、合計七〇〇九万二九二六円のうち三〇〇〇万円とこれに対する失明の日である昭和四九年一〇月三日以降支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否及び被告主張

(認否)

1 請求原因1について

(一) (一)の事実は認める。

(二) (二)の事実のうち、原告が、同月二〇日、東京医科歯科大学医学部付属病院眼科で診察を受けたところ、脳腫瘍の疑いがあると診断され、脳神経外科に紹介され、翌二一日、同科の診察を受けたこと、そして、同月二五日、同病院に入院し、手術を受けることとなったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) (三)、(四)の各事実はいずれも認める。

(四) 同(五)のうち、原告が、同年一〇月二日午後一時三〇分頃から気脳撮影検査を受け、第一回目の酸素注入がなされたこと、更に再度酸素注入がなされ、同日午後三時頃、右検査が中止されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五) 同(六)ないし(八)の各事実はいずれも認める。

2 同2について

原告の失明の直接的な原因が、下垂体卒中による回復不能な視交叉神経の傷害が惹起されたことによるものであることは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同3について

(一) (一)のうち、原告に対する気脳撮影検査が不必要であったことは否認するが、その余の事実は認める。

(二) (二)のうち、第一回目の酸素注入がクモ膜下腔に注入されたかどうか判明しなかったため、再度酸素注入が行われ、酸素が硬膜下に注入されたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) (三)のうち、原告が、一〇月三日午前三時一〇分に看護婦を呼んだが、当直医が診察しなかったこと、午前六時、原告が「駄目だ、駄目だ」と嘆いているのを見て当直医が来診し、対応策が立てられたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) (四)のうち、剃髪その他手術の準備をしていなかったことは認めるが、その余の事実は否認する。

4 同4について

(一) (一)のうち、原告が健康な成年男子であったことは否認する。その余の事実は認める。

(二) (二)の事実は認める。

(三) (三)及び(四)の事実はいずれも争う。

(被告の主張)

1 因果関係について

(一) 原告の失明は、トルコ鞍外に進展した下垂体腫瘍の圧迫による視神経の傷害が既に失明となりうる限界に近づいていたところへ、偶然に発生した下垂体腫瘍内の急性出血(下垂体卒中)により腫瘤の大きさ(視神経の圧迫)が急激に増加し、腫瘍及び血腫の除去による視神経に対する圧迫を解除してももはや視力の回復を得られないまでの視神経傷害となったことによるものである。

(二) 原告には、昭和四九年九月二〇日の検査時点で既に視神経萎縮が認められ、高度の視野狭窄、視力障害があった。

(三) 原告の下垂体卒中は、偶発的に起こったものであり、気脳撮影検査とは全く無関係である。すなわち、右検査は、一九二〇年代の初めから臨床的に応用されて以来既に五〇年以上経過し、日本だけでも、どんなに少なく見積っても年間一〇〇〇回以上の検査が下垂体腺腫の患者に対して行われており、他方、下垂体卒中は下垂体患者の約一〇パーセントにおこるものである。これだけの下垂体腺腫患者に対する検査の実施例があり、かつ、同患者の下垂体卒中発生がありながら、右検査によって下垂体卒中がおこったと推定される症例は報告されていない。

2 過失責任について

(一) 一般に、神経学的検査、頭蓋単純レントゲン撮影により下垂体腺腫の診断が推定されても、手術を施行するについては、腫瘍の存在の有無、腫瘍が存在するとすればそれは下垂体腺腫であるか否か、その位置、大きさ、トルコ鞍外への進展の程度と周囲組織との関係などを正確に把握する必要があり、そのためには、各種補助検査が不可欠であり、とりわけ気脳撮影及び脳血管撮影をしなければ手術を施行するに足りる正当な根拠があるとはいえない。従って、気脳撮影は、手術前の検査として必要であるばかりでなく、これを欠くときには、術前検査が不十分であるとの謗りを免れない。

(二) また、原告は、下垂体卒中後の緊急手術においても気脳撮影検査を実施しなかったことをもって、本来右検査は不必要であったかの如き主張をするけれども、それは良性の腫瘍である下垂体腺腫の摘除手術の場合と、四〇ないし六〇パーセントに及ぶ高い死亡率を有する下垂体卒中患者に対する緊急手術の場合とでは、全く異なった対応がなされなければならないということを混同しているものである。

(三) 本件において気脳撮影検査の実施手技に過誤はない。なるほど、本件において右検査はその所期の目的を達することができずに中止されたけれども、その過程に何らの過誤も存しない。すなわち、

(1) 針がクモ膜下腔に入ったかどうかは髄液の流出の有無によって判断するほかなく、髄液流出が確認されても、注入された気体が硬膜下腔に入る場合のあることは避けられないことである。

(2) また、針がクモ膜下腔に入っていても、最初に注入された気体によって頭部に気体像が写らない場合には、更に五cc程度の気体を追加注入するのが右検査の常道である。

(四) 仮に、右検査と原告の下垂体卒中との間に因果関係が認められるとしても、右検査実施の際、その実施が下垂体卒中を惹起させることについての予見可能性は全くなかった。

(五) 気脳撮影検査は、注意深く施行されるならば合併症の発生をほとんど避けることができ、危険性は全くないから、手術のための剃髪その他の手術の準備をする必要はない。

(六) 気脳撮影検査の場合、一過性の髄膜刺戟症状、嘔気、嘔吐、頭痛などの症状のおこることはほとんど全例に認められる副作用であるから、右症状があっても、その他に一般症状の変化、神経症状の出現がなければ下垂体卒中を予測することはできない。そうして、一〇月三日午前六時に原告から突然目が見えなくなったという訴えがあってから手術までの時間は、必要最少限のものであり、これ以上の適確な診断、迅速な処置は望みえない。すなわち、

(1) 脳血管撮影をしなければ、脳動脈瘤破裂の疑いとか動脈閉塞による失明の疑いを否定することができないし、これを確めずに開頭手術をすることはできないから、脳血管撮影は下垂体卒中であることを確認するために必要であった。

(2) 更に、入院時から原告には不整脈があり、下垂体卒中という全身に影響する事態になって、果して原告が手術に耐え得るか否か、手術が可能とすれば麻酔上どのような注意が必要であるか等、循環器及び麻酔の専門医との間で検討する時間も必要であった。

(3) そうして、輸血等万全の手配、準備をした後の午前一二時二五分に麻酔を開始し、麻酔の安定した状態で頭や身体の固定、手術部位の消毒等がなされ、午後一時二五分執刀が開始されたものである。

第三証拠関係《省略》

理由

一  気脳撮影検査及び下垂体卒中に対する手術の実施とその経緯

1  当事者間に争いのない事実

原告が、昭和四九年九月頃、従来使用していた眼鏡の度が合わなくなったため、某デパートの検眼室を訪れたところ、専門医の診察を受けた方が良い旨の助言を受けたこと、そこで、同月二〇日、東京医科歯科大学医学部付属病院眼科で診察を受けたところ、脳腫瘍の疑いがあると診断され、同病院脳神経外科に紹介され、翌二一日、同科の診察を受けたこと、そして、同月二五日、同病院に入院し、手術を受けることとなったこと、原告は、入院後脳神経外科で諸検査を順次受けることとなったが、その一つとして気脳撮影検査(腰椎穿刺あるいは後頭下穿刺を行い、酸素などの気体を一〇ないし二〇cc注入し、脳室又はクモ膜下腔あるいはその両者をレントゲン写真上に写し出す方法)を実施する旨告げられたこと、原告は、右検査を受けることを拒否したが、担当医の説得によりこれを承諾したこと、原告は、同年一〇月二日午後一時三〇分頃から右検査を受け第一回目の酸素注入がなされたこと、更に再度酸素注入がなされ、同日午後三時頃右検査が中止されたこと、原告は、同日午後一一時過ぎ頃から吐気を覚え嘔吐を始め、翌三日午前六時頃、両眼共視力が消失していたこと、そして、原告は、下垂体卒中と診断され、同日午後一時二五分頃から手術が開始され、腫瘍及び血腫が除去されたこと、原告は、その後視力を回復するための各種療法を受けたが、遂に視力が回復しなかったこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

2  右の事実に、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告は、昭和四九年九月二〇日、東京医科歯科大学医学部付属病院眼科で診察を受けたが、同科における視力・視野・眼底及び頭蓋レントゲン検査の結果によると、右眼視力は眼前三〇センチメートルで手指を数えられず動かせばわかる程度(眼前手動)であり、左眼視力は裸視で〇・一、矯正して〇・二(近視性乱視)、眼底は両側共一次性視神経萎縮があり、視野検査は両耳側半盲で特に右眼では下鼻側にわずかの視野を残すのみであり、レントゲン検査ではトルコ鞍(下垂体の入っている骨のくぼみ)の異常な拡大と破壊が認められた。このようなことから、眼科では脳腫瘍の疑いがあると診断し、先に認定したとおり、原告は、同病院脳神経外科に紹介され、翌二一日同科の診察を受けることとなった。

(二)  同科担当医福島義治は、同日、原告を診察した結果、下垂体腺腫であり、視力障害がかなり急速に進行しているので、このまま放置しておくと間もなく失明することが明らかであるため、早期の手術治療が必要であると判断した。そこで、原告は、同月二五日、同病院に入院することとなった。

(三)  原告は、同病院に入院後脳神経外科において頭部断層撮影、血液生化学検査、ホルモン検査、頭部レントゲン拡大撮影等の諸検査を順次受けた。

(四)  担当医福島義治は、手術を実施するには腫瘍の存在場所、大きさ、周囲組織との関係等を正確に把握することが必要不可欠であることから、前記気脳撮影検査を実施することとし、同年一〇月二日午後一時三〇分頃から右検査を開始した。同医師は、先ず同日午前一一時四五分頃に脊椎管に抽入しておいたチューブから酸素五ccを注入し、レントゲンで側面像を撮影したが、注入した右酸素の所在が不明となったため、更に酸素五ccを追加注入し、レントゲンで撮影したところ、右酸素は目的とするクモ膜下腔に入らず硬膜下腔に入ってしまったため、目的とする所見がえられず、同日午後三時頃右検査を中止した。

(五)  原告は、右検査中止後病室に戻されたが、そのときは体を動かすと頭痛がする程度であった。ところが、同日午後一一時過ぎ頃、吐気を覚え嘔吐を始め、当宿医の診察を受けたが、静かに寝ているようにいわれた。原告は、同月三日午前三時一〇分頃、頭痛を訴えるとともに約一〇ccの胃液様のものを嘔吐した。そこで、看護婦が当宿医の指示により原告に鎮痛剤ピラビタールを注射したが、効果が顕れなかった。

(六)  原告は、同日午前六時頃、眼を覚したところ両眼とも視力が消失していることに気付き、看護婦に対しその旨訴え、直ちに当宿医が診察したところ、視力消失・眼球運動障害が認められたので、下垂体腺内の急性出血(下垂体卒中)と診断し、止血剤の投与、副腎皮質ホルモン注射等の応急措置をした。その後、担当医福島義治は、当宿医の報告を受け、原告の病状を下垂体卒中と判断し、緊急に手術をしないと失明する虞れがあることからその準備と手術に必要な検査の準備に取り掛かり、同日午前九時頃、脳血管撮影を施行し、下垂体卒中であることを確認した。そして、同医師は、同日午後一時二五分頃から手術を開始し、腫瘍による視交叉・視神経の圧迫と腫瘍内出血を確認し、腫瘍及び血腫の除去をして視神経減圧を行った。なお、右手術は、止血が極めて困難であったため、約一一時間という長時間を要した。

(七)  原告は、手術後も視覚回復のため、循環改善剤、代謝賦治剤及びビタミンBの大量療法と副腎皮質ホルモンの補償療法を受け、また、同病院外科で球後ステロイド注射療法を受け、同病院放射線科で同年一〇月二八日から同年一二月三日まで残存腫瘍に対するコバルト六〇による放射線治療を受けた。原告の手術後の経過は、視覚を除いて順調であったが、視覚については、回復の見込みがなかった。そして、原告は、同年一二月七日退院し、その後一か月に一回か二回外来として通院していたが、昭和五〇年一一月六日以降通院せず今日に至っている。

二  原告の失明の原因

1  原告の失明の直接的原因は、下垂体卒中による回復不能な視交叉神経の傷害が惹起されたことによるものであることは当事者間に争いがない。

2  原告は、右下垂体卒中は脳神経外科担当医の原告に対する気脳撮影検査によるものである旨主張するので、以下、この点について検討する。

(一)  鑑定人益澤秀明は、本件気脳撮影検査の実施と原告の下垂体卒中の関連性は不明であるがとしながらも、脳神経外科担当医による気脳撮影検査によることの蓋然性が認められる旨の鑑定意見を述べている。そうして、同鑑定人は、その理由として、「鑑定人のこれまでの経験及び鑑定人所属の東大脳神経外科教室の経験によっては、気脳撮影により脳下垂体(腺腫)卒中をおこしたと確認される例はなく、内外の調べうるかぎりの文献にもそのような記載はみあたらない。但し、脳血管撮影で脳下垂体卒中をおこしたと推定される症例が報告されている。また、脊髄造影術と腰椎々弓切除術施行直後に発生した脳下垂体卒中の一例が『因果関係はかなり疑問であるが』との著者の注釈つきで報告されている。そもそも脳下垂体(腺腫)卒中の原因は殆んど不明のことが多く、従ってわざわざ『特発性』と名付けられるくらいである。こうしたことから、本件の因果関係も不明であり、偶然に発生した可能性が強いが、さりとて因果関係が全くないと否定もしきれない。むしろ因果関係があるかも知れないと考えて、こうした稀有な事例があることを学会等に報告し、脳下垂体卒中の原因を探り、その予防、治療法を確立する一助にすべき事例と思われる。」と述べている。

(二)  他方、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 下垂体卒中の原因は、前記鑑定意見でも指摘している如く、現代医学上未だ解明されておらず、病理学上有力な見解によれば、腫瘍が急激に増大する際、これを養っている血管が追い付かず腫瘍の一部が栄養不足となって壊死に陥り、これと共に血管も壊死、破綻して出血するというのである。

(2) 下垂体腫瘍は嫌色素性腺腫、酸好性腺腫、混合型の三つに分類することができ、そのうち嫌色素性腺腫が下垂体腫瘍の約八〇パーセントを占めているが、下垂体卒中をおこす頻度は低いと考えられている。そうして、原告の下垂体腫瘍は嫌色素性腺腫と考えられる。なお、下垂体腺腫患者のうち下垂体卒中をおこす頻度は、統計上明確を欠くが、一パーセントないし一二・五パーセントと考えられている。

(3) 気脳撮影検査は、大正九年から臨床的に応用されており、日本において現在年間一〇〇〇例以上の検査が下垂体腺腫患者に対し実施されているが、気脳撮影検査によって下垂体卒中がおこったとされる症例は、前記鑑定意見でも指摘している如く、これまで一例もない。

(四) 気脳撮影検査の副作用として頭痛、吐気等の症状が現われるけれども、原告の右検査後の前記認定の頭痛、吐気等の症状が右副作用によるものであるか否かは明らかでない。

(三)  ところで、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものと解するのが相当である。

これを前記認定事実に基づき本件についてみるに、鑑定人益澤秀明の、原告の下垂体卒中と気脳撮影検査の実施との関連性について蓋然性が認められる旨の鑑定意見は、原告に対する右検査が昭和四九年一〇月二日午後一時三〇分から同日の午後三時頃まで行われ、その後の原告の頭痛、吐気等の症状が下垂体卒中によるものか右検査に伴なう副作用によるものか不明であるが、遅くとも翌三日の午前六時頃下垂体卒中がおこったと認められることの時間的経過に鑑みれば、一応相当な根拠があるように思われないではない。しかし、その反面、右鑑定意見は、因果関係をどのように理解し蓋然性をいかなる意味で使用しているか明らかでなく、その理由と併せ考えたとき、むしろ因果関係が不明であるというのが卒直な結論であるように解される。このような鑑定意見の不明確さは、下垂体卒中の原因が現代医学上未だ未解決な問題であることによるものと思われ、これはやむをえないところであると考えられる。そこで、このような原因不明な疾病についての因果関係の有無を検討するについては、鑑定人も指摘する如く、これまでの経験が重視されなければならないと考えられる。そうすると、気脳撮影検査によって下垂体卒中がおこったという例は、これまで日本国内においては勿論、国外においても報告されたことがないというのである。しかも、下垂体卒中は、鑑定人も述べている如く「特発性」疾病と名付けられているというのである。このようにみてくると、原告の下垂体卒中は、鑑定人も述べている如く、偶然に発生した可能性が強いということもでき、原告に対する気脳撮影検査後約一五時間内に下垂体卒中がおこったという事実を把えて、直ちに両者を安易に結び付けて考えることは疑問であるといわなければならない。以上要するに、原告に対する気脳撮影検査によって下垂体卒中がおこったことにつきいまだ通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信に達したということはできないというべきである。

(四)  その他に、本件気脳撮影検査の実施と原告の下垂体卒中との間に因果関係があると認めるに足りる証拠はない。

三  以上説示したところから明らかなとおり、原告の本訴請求はその余の点についての判断を進めるまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井田友吉 裁判官 林豊 裁判官大谷辰雄は職務代行終了のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 井田友吉)

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